神戸港開港30年目である1897年12月12日、吉川市三は、神戸市中央区元町通3丁目に、当時の神戸でもまだ珍しかったバルコニー付き欧風建物を建設し、神戸で初めて洋菓子を製造販売する「風月堂」を創業しました。
1926年頃、大阪の北浜風月堂を訪れた客からフランスのゴーフルを持参し「日本でも作ってみてはどうか」と提案され、北浜風月堂の優秀な技術者であり、和洋菓子の職長であった渋谷太郎と田村豪也が、「ゴーフル」の開発に取り組みました。
フランスのゴーフルをそのまま真似るのではなく、日本人の嗜好に合うようにフランス菓子に和の心を取入れたいと試作研究を繰り返し、1927年に東京銀座米津風月堂と神戸風月堂、大阪北浜風月堂の三店で発売された「ゴーフル」。
現在のゴーフルは、二枚の「せんべい」状のものを合わせて一組としていますが、当時は、神戸名物の大瓦せんべいと同じ焼き方で、火床は木炭。一枚づつ表裏をひっくり返しながら焼き、手でクリームをサンドして仕上げていくという手法。
非常に手間ひまがかかっていたため、一日生産量は800枚、売価は1枚8銭でした。ちなみにその頃は、浴用石鹸1個の値段が10銭でしたので、1枚8銭もするゴーフルは、当時としてはたいへん高価なお菓子で、進物用に利用されることがほとんどでした。
それでも、従来の和洋菓子にはない独特の口あたりと感触、そしてフランスの香りを持つゴーフルは、数年を経てようやく販売量が上向きになりました。
しかし、1931年、満州事変を契機に、容器の缶の生産が全面的禁止。続いて全ての原料が統制され、ついに全製品が製造中止となってしまいます。ゴーフルの生産が再開されたのは、戦後ようやく原料が手に入るようになった1951年。
以後、良質な原料入手や品質向上へのたゆみない努力により知名度は高まり、販売実績も上昇。そのため同業者からも注目され、全国各地で類似品が出回る兆しが見え始め、1953年9月、商標登録を申請し、その権利を取得。
お菓子は豊かな生活の象徴であり、甘く、美しく、美味しく、夢を持ったもの、「お菓子は文化のエッセンスである」という先代からの信条を今も大切に受け継ぎ、「あの店と指定を受ける心掛け(社訓)」、「才覚、算用、算段、始末(社長訓)」、「誠実、智力、努力(社是)」をモットーに、その名を世界へと広める神戸風月堂。
最近では、お土産用として、ハローキティや阪神タイガースなどがプリントされた缶入りゴーフルも人気とか。
そんな中、グアムのABCストアーでも、同シリーズのトロピカルバージョンが販売されています。
フレーバーは、ココナッツ、パイナップル、コナコーヒーの3種類(各$4.50/6枚入)。日本未発売の神戸風月堂ゴーフルを、グアムのお土産にいかがですか?
ゴーフルの神戸風月堂
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